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麻生太郎氏を論じるのは終わりと思いましたが……

2009921

宇佐美 保

 

 麻生自民党が選挙で大敗し、彼の敗戦の弁とか色々多々おぞましく感じましたが、今更、無能な方の無能振りを云々するのも無能と存じ“麻生太郎氏を論じるのは終わり!”と喜んでいました。

しかし、私の麻生氏への決別状とさせて頂きたいようなコラムを、大橋巨泉氏が『週刊現代 2009.10.3号』に書かれていますので、ここに一部を引用させて頂きます。

 

 

多くの識者の意見は、今回の総選挙は民主党に期待したのではなく、自民党に嫌気がさした結果だという。確かにそうかも知れないが、その意見も決め手に欠ける。

 もし自民党にノーをつきつけたければ、張本人である麻生太郎を落さなかったのは何故か。

 

 

 本来なら、選挙民が麻生氏を落とす前に、自民党員達が麻生氏から総裁の座を取り上げるべきでした。

否!麻生氏自らが、己の無能振りを恥じて、総裁の座から(又議員の座から)降りているべきです。

 

 

第一ボクのような原理主義者には、麻生太郎が、いまだに議員辞職しない事が理解できない。彼は議員バッジをつけて、一体何をやろうというのか。何もやる事はない筈だ。

首相に返り咲く可能性は、億にひとつ″もない。大臣も党の要職もあり得ない。それどころか、自民党を破滅に追いやった男として、怨嵯、叱責、侮蔑などの視線の中で過ごすことになろう。ボクなら、歴史的大敗の責任を取って、翌日に辞職している

 

 

 麻生氏にとっては「怨嵯、叱責、侮蔑など」は、「なんとかの面に……」なのでしょうが、私は、このような「原理主義者?」の巨泉氏が、早々と議員バッチを放棄されたのが残念でなりません。

(私は、以前、菅さんに“大橋巨泉氏を議員にして下さい”と依頼のメールを書いた記憶があります)

 

 

辞めたって金は余る程ある。古い表現だが、位人臣を極めた上は、悠々自適して好きな趣味に生きる、とかいう気持にならないものか。

 

 

私は、麻生氏が「日本の伝統文化の保存の為」、私財を投じて「日本の伝統工芸品の収集」

などの趣味にでも打ち込んで頂けたらと存じております。

 

 

意味がないのにバッジをつけているのは、さすが「KY首相」といわれた名に恥じない。

「空気が読めない」「漠字が読めない」どころの話ではない。先日彼は「昨秋解散していれば、こんなに負けなかった」と言ったという。

おいおい、である。そういう話(解散)は何回も出た。そのたびに「解散は、いずれ私が決めさせていただきます」と、胸を張ったのはどこのどなたでしたっけ? この人は、「読めない」人ではなく、空疎な頭脳をもった、単なる金持ちの「やんちゃオヤジ」だったようだ。

 

 

 この件に関して、『時事通信:991237分配信』を引用させて頂きます。

 

 

 麻生太郎首相は9日午前、首相官邸で海洋政策研究財団の秋山昌廣会長と会談した。首相はこの中で、衆院選の自民党惨敗に関し「昨年秋に衆院選をしていたら、こんなに負けていなかった」と述べた。

 首相は昨年9月の就任直後にも衆院解散のタイミングを探ったが、米国発の世界同時不況への対応を優先し、解散を今年7月まで引き延ばした経緯がある。秋山氏によると首相は、「(昨秋解散していれば)経済対策はできなかった。その辺は民主党にも分かっている人はいる」とも指摘。また、「選挙前で1キロ、選挙中で1キロやせた」と厳しい選挙戦を振り返っていたという。

 

 

 それにしても、時事通信は、麻生氏の“米国発の世界同時不況への対応を優先し、解散を今年7月まで引き延ばした”との言い訳を、何故、私達に丸投げしてくるのでしょうか!?

 

 この件に関して、小沢一郎氏の心の友である平野貞夫氏の著作『わが友・小沢一郎 株式会社 幻冬社 200955日発行』から一部抜粋させて頂きます。

 

……福田首相の辞任表明を受けて、自民党では922日に総裁選が行われ、麻生氏が選出された。

結果は麻生氏の圧勝だったが、これには自民党実力者間の「首相を麻生氏に替えて、すぐに解散・総選挙に打って出る」との戦略があった。しかし、戦略は思い通りにいかなかった。盛り上がるはずの自民党総裁選が、早々と麻生氏の圧勝が確定してシラけた。この結果「60%台になるだろう」と期待した内閣支持率は40%台にとどまった

一方、自民党は麻生首相就任直後に解散・総選挙に打って出る戦略だったため、9月の最終週の週末に全国で大規模な選挙情勢調査を行った。ところが、私が関係者から聞いたところでは、その結果は自民党の予想獲得議席は190から200で、公明党の議席と合わせても過半数に届かず、「政権交代の可能性が高い」というものだった

 報告を受けた麻生首相は予定していた解散・総選挙の先送りを決断するその直後、米国で金融危機が発生したことから、麻生首相は解散先送りの理由を「経済対策を優先するため」と説明したが、本当は政権交代を恐れてのことだった。

 解散したかったのにできなかった麻生内閣の支持率は、経済の悪化に加えて、首相の「漢字が読めない問題」や失言で下落する一方だった。

 

 

 私は、時事通信が丸投げ報道した「麻生氏の言い訳」よりも、ここに引用させて頂いた「平野氏の見解」に納得します。

更に、平野氏の著作から引用させて頂きます。

 

 

福田康夫首相が政権を投げ出した直後の9月上旬、小沢と懇談する機会があった。その時に「米国の投機資本主義と金融資本主義の崩壊はカウントダウンの段階に入った」という話を、すでに平成19年の参院選前から2人でしていたことが話題になった。

 小沢は、

「昨年の参院選で『国民の生活が第一』の政策理念を作ったのは、その予感があったからだ。これから『日本型セーフティネット』を整備して、混乱する国民生活を守ったうえで、公正で活力ある市場経済社会を創るようにしなければ」

 と語った。この「日本型セーフティネット」の整備は、簡単に実現できるものではないが、これが日本を再生させるカギとなる。

 小沢はその具体策として、平成201010日の衆院本会議で「私の所信表明」として「新しい生活をつくる五つの約束」を発表した。それは次の5項目である。


「小沢氏の所信表明」(平成201010日の衆院本会議)
1 すべての国民が安定した生活を送れる仕組み
2 安心して子育てと教育ができる仕組み
3 まじめに働く人が報われる雇用の仕組み
4 地域社会を守り再生させる仕組み
5 国民の生活コストを安くする仕組み


 

 「日本型セーフティネット」の整備が急務

 

 麻生首相はこの小沢構想に対して「小沢代表はいつから社民主義者になったのかと厳しく批判した。「日本型セーフティネット」の必要性をまったく理解しない証拠である。「格差社会」で苦しむ日本の庶民に、米国での金融資本主義崩壊の激動が襲ってきた今、これらセーフティネットの早急な整備が、日本政治の課題なのだ。

……

「日本型セーフティネット」の整備が、何よりも国民のための景気回復策だと理解できないのが、自民、公明両党の限界であり、国民の悲劇である。麻生政権を支える官僚、財界、マスコミなどの中には、「日本型セーフティネット」の整備や「友愛」「共生社会の実現」に理解を示さない人たちが多い。その原因は彼らの「歴史観」と「人間観」に問題があることだ。そこから反省してもらわないと、日本は亡国の道を加速していくだろう。

 20世紀までおよそ400年続いた資本主義は、近代西欧思想の合理性、効率性、論理性を正義として、それを追求して発展した。それが歴史の経過とともに、資金と資産を所有支配することに対する倫理性が失われていった。そして合理性、効箪性、論理性の極限の経済学としてつくられたのが「金融工学」である。これがコンピューターやインターネットの発達による情報産業革命によって、金融投機資本主義として「悪魔化」し、人間が資本や資金の投機対象として犠牲になった。その挙げ句がサブプライムローン問題である。

 今、人類が問われなければならないことは、資本主義のあり方だけではなく、人間のあり方だ。私たちは後の世代のためにも今、
21世紀にふさわしい健全な市場経済社会を創造する責任がある。それがポスト資本主義の国づくり、社会づくりだ。

 

 

 ここに書かれているように、小沢、平野両氏も2年前から「米国の投機資本主義と金融資本主義の崩壊はカウントダウン」を予見していたのに、自民党政権は何らそれに対する対策も打たず、かえって「小沢所信表明」を「小沢代表はいつから社民主義者になったのか」と非難していた人物を首相として崇めていたのです。
又、実に立派な「私の所信表明」をも発表している小沢一郎氏をマスコミは何故か「権力奪取のみが目的」の人物と書き立てます。

更に、巨泉氏の麻生氏に関する記述を引用させて頂きます。

 

 

ボクは彼を「総理になりたかっただけの男」と評して来たが、取り消したい。彼は「単に偉そうにしていたいだけの男」のようです。

「空気が読めない」といえば、ボクはこの言葉がキライである。回りの空気ばかり読んでいる人間の集団がニッポン国だとしたら、ボクは喜んで出て行く(もう出て行ってるだろう? あっ、そうか)。

 

 

 私は、麻生氏は「一日でも長く総理の座にしがみ付いて居たかった男」と思っています。

 

 ところが、こんな麻生太郎氏を文芸評論家の福田和也氏は、『週刊現代(2007.1.20号)』〈べらんめえ調の「美しい国」も見てみたい〉で、しきりにヨイショしていたのですから、呆れてしまいます。

(先の拙文《麻生太郎氏をヨイショする福田和也氏》をご参照下さい)

 

 

 

 更に、巨泉氏の記述を引用させて頂きます。

 

 

 閑話休題。神奈川11区の人達もどうかと思う。これ以上ない世襲候補″を落してこそのチェインジだろう。小泉進次郎を当選させたのは、麻生太郎を楽勝させたのと全く同じ「地盤」である。コイズミ、アソウという「看板」である。ここにはチェインジは無い。

 

 

 本当に、私は小泉進次郎氏の件を書くのはうんざりです。

彼は、国会議事堂前でインタビューを受け“私には国会がフィールド・オブ・ドリームス”とか答えていました。

私の記憶では、映画「フィールド・オブ・ドリームス」は、(記憶が曖昧ですみませんが)トウモロコシ畑の一角を切り拓いて作った野球のグランドに、往年の名選手がトウモロコシ畑の中から出てきて往年のプレーを披露するといった映画だったと思います。

 

 世襲の小泉氏がこのような発言をすると、「国会議事堂」に、自分の父や、祖父らを再度、登場させようなどとの戯言でも言っているのかしらと思えてなりませんでした。

(なにしろ、小泉進次郎氏のホームページを訪ねても、父純一郎氏の政治への反省も無いし、何も無し状態です)

 

 

 こんな小泉進次郎氏に関して、『週刊現代2009.10.3号』には次のような記述が載っています。

 

……自民党若手議員が続ける。

 「総裁選不出馬を決めた中川秀直氏は、なんら変わろうとしない党に嫌気がさしたのか、急進的になつている。最近では小泉元総理の息子・進次郎氏を将来の日本のリーダーとして育てていくべきだと発言し、周囲を困惑させています」

 

 こんな記事が出るようでは「周囲を困惑させています」どころか、私達全員が腰を抜かしてしまいます。

 

 

 巨泉氏の引用をもう少し続けます。

 

 

東京人は、石原宏高を落した。変えようとする「気」が少しは見える。

変わらないと言えば、舛添要一も同じだ。前にも書いたが、彼が信奉するのはタクティクス(戦術)であり、信念ではない。あれ程総裁選に前向きだったのに森喜朗だの青木幹雄だのという旧体制の妖怪に説教されると、簡単に引っ込んでしまった。負けても負けても出て行った小泉純一郎の一途さを求める方がムリか。

 

 

 私も、舛添要一への巨泉氏の見解に賛同します。

更に、付け加えさせていただければ、

舛添要一には「頭脳が有って、心が無い」

と思えてならないのです。

ところが、河野太郎氏は、「舛添要一氏」とは別人のようです。

次に『朝日新聞2009920日』の記事を抜粋させて頂きます。

 

 

 ……19日、自民党総裁選に立候補している西村康稔(やすとし)前外務政務官(46)、河野太郎・元法務副大臣(46)、谷垣禎一・元財務相(64)の3人が日本記者クラブ主催の公開討論会に臨んだ。河野氏が過激な発言で討論をリード。森喜朗元首相ら重鎮に退場を迫るなど、党運営や党の体質を変えるよう強く求めた。党内融和を唱える谷垣氏は小泉改革の是非など政策論争に引き戻そうとしたが、総裁選は世代交代や重鎮支配の是非が争点になりそうだ。

……

 「誰を排除せよという議論より、全員野球でやらなきゃダメだと思います」。党内融和を掲げ、ベテラン勢の支持を受ける谷垣氏が、前日の記者会見で森元首相に政界引退を迫った河野氏の言動をいさめるように語ると、

 

河野氏はこう言い返した

 「全員野球には私は反対です。あしき体質を引きずっている人はベンチに入れるべきではない」。この日は森氏だけにとどまらず、参院自民党のドン、青木幹雄氏も名指しで批判。さらに最大派閥・町村派会長の町村信孝氏らを念頭に派閥の親分でありながら、小選挙区で当選されず比例代表で上がった方、比例の議席を次の順番の若い世代に譲って頂きたい」と挑発を続けた。

 

……

 河野氏の矛先は、同い年の西村氏にも向けられた。質問の冒頭、いきなり「中堅・若手候補が2人いる。決選投票になったら2、3位連合しますか。谷垣さんが勝っても構わないのか」と迫ったのだ。

 

 西村氏は、森氏らベテラン勢の覚えが良く、「若手分断のため擁立された」との見方がある。河野氏の質問は、世代交代に対する自らの真剣さと西村氏のあいまいさをあぶり出す狙いがあった。

 

……

 

 河野氏は「私は推薦人20人と一緒に出たいと思うが、森喜朗さんのクモの巣に絡め取られている人に派閥を出ようというのは厳しい」と反発。重要なのは形式的な「派閥解消」でなく、総裁に人事権や資金を集中させて意思決定を一元化することだと訴えた。

 

 さらに「町村さんが私の推薦人に電話し、河野太郎の推薦人になるなとやった」と暴露。河野氏から「こういう派閥の親分をどう思うか」と攻められた西村氏は「私のことをおもんぱかってくれたのかもしれない」と擁護した。

 

 

 町村氏の卑怯な河野氏への妨害行動を、“私のことをおもんぱかってくれたのかもしれない”と解釈する西村氏には、旧態依然の自民党政治しか期待出来ないように思われてなりません。

 

 

 しかし、この河野太郎氏がやっと集めた(?)推薦人の一人が、比例復活を果たし、又、小泉進次郎氏を持ち上げている中川秀直氏であるのも皮肉と言えば皮肉です。

 

 

 それでも、河野太郎氏のような思いを抱く方々が、健全なる野党を形成して、民主党の悪しき自民党化への変質を監視し、場合によっては、政権交代して頂きたいものです。

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